[書評]大人が知らない携帯サイトの世界

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同じく年末に購入していた一冊。こちらもAmazonの中古で買いました。

この本も初版が2007年9月14日と[書評]モバゲータウンがすごい理由と同時期に書かれており、古くなっている内容があるのは仕方がないです。また、こちらも「携帯業界を知らない人向け」となっています。

しかし、携帯サイト全般についての本というよりも、「携帯ユーザー」について詳細に書かれており、メインユーザーである若年層がどういった行動を取るか、というのを知らない「携帯業界を知らない人」にとっては非常に手軽に理解できる本だと思います。

ただ、全般的に出会い系や学校裏サイト、ケータイ下流論等、携帯サイトに対するネガティブなイメージに対して「そうではない」ということを言うあまり、「暴論化」してる部分や「世代論」と「ケータイユーザー論」とがごっちゃになってしまっているところが見受けられます。

・「ケータイ世代=携帯サービスのメインユーザー」と定義しているようであるが、世代論とケータイユーザー論が切り分けられていないため、「ケータイ世代は情報発信に積極的である」で述べられることは「若年層が情報発信が得意」なのか、「ケータイユーザーが得意」なのかが曖昧なまま述べられる。また、その根拠となるブログ開設数はPCの方が多いことには触れない。(結局、世代によるものなのか、デバイスの特性によるものなのか、提示されるデータからは判別不能。)

・「ケータイ世代は下流なのか?」という部分において、議論の前提となる統計データが「家庭のPCからのアクセス」となっている点を指摘して、「PCは仕事場や学校で利用している」可能性を述べるが、「仕事場や学校での利用統計データが出た場合、「ケータイ世代=下流」はイコールではないが、「仕事場や家庭でもPCを使わない=下流」という仮説が成立する可能性には触れていない。

・「PC世代でも進む「群れ」化」という部分において、人間が「群れたがる」という行動と、「ケータイ世代の群れる」という行動を同一視して、「だから群れるのは一般的だ」という結論付けているが、群れが閉鎖系になった場合の問題点が指摘されていることには触れていない。

この著者は、第5章の後半にある「ケータイ文化が若者文化でなくなる日」「日本のネットの未来はケータイにある」という部分において、「「インターネット=ケータイ」と解釈されることも十分ある。」「PC世代からケータイ世代へと移行が進み、ネットの利用もPCから携帯電話へと変化していく。」とまで述べています。

しかし、統計データから見えてくるのは「PCと携帯の並列利用」であり、事実平成19年度の調査データではPCが再度逆転をしています。また、PC・携帯の両方を利用しているのは69.7%と平成17年の57%よりも増えています。

また、「「暇」の概念が大きく変化している」という部分で述べられているように、「暇」と定義する時間が中高生の間は一般とは異なっていても、社会人になれば一般的に言われている「暇」という定義へと収束せざるを得ないことは、当然のことです。

つまり、この本が書かれた当時から未だに続く「PC厨 vs ケータイ厨」という対立や、携帯サイトに対するネガティブな印象というのは、この著者言うような「ケータイ世代に対する非ケータイ世代からの不理解」や「ケータイ文化に対する理解」ではなく、「今の若い奴ってさー」と居酒屋でオヤジが述べる「世代論」に対する反論でしかないように見えてしまいます。

携帯業界に長くいる私が書評]モバゲータウンがすごい理由とこの本を読んで改めて感じたのは、第5章に述べられる「求められるのはケータイ世代の発想」ということではなく、PCや携帯といったデバイスに囚われてはいけない、ということでした。

モバゲー等のコンテンツを利用し、「繋がりっぱなしの世界」を当たり前だと考えている若年層が社会人になり、会社でPCを使うようになって可処分所得が増えてくると、「インターネット=ケータイ」という事態ではなく、「情報取得に対して便利なデバイスをその時々に応じて選択する」という行動が一般化するでしょう。

そのため、デバイスに紐付いたユーザーという考え方は将来なくなり、必要とされる情報をデバイスの違いに応じて提供することが必要になる、とのではないかと思っています。

ちょっと前に話題になった二冊は、このことを再認識をさせられた本でした。

目次
第1章 インターネットに存在する「2つの世界」
第2章 PCからは得られない「携帯サイト文化」
第3章 ケータイ世代の「コミュニティ・スタイル」
第4章 インターネットの「世代間格差」
第5章 「ケータイ世代」がネット文化を席巻する日