京都の嵯峨野と嵐山に行ってきた〜大覚寺

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名所旧跡
菊の御門
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京都の嵯峨野と嵐山に行ってきた〜清凉寺の続きです。

レンタサイクルで清凉寺を出て北東に5分ほど走ると、大覚寺が見えてきます。

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大覚寺

大覚寺は、弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山で、正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれています。

大覚寺 総門

御所という名前の通り、平安初期には嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたのが大覚寺の前身である離宮嵯峨院です。

また、嵯峨天皇が大覚寺の大沢池で菊ガ島に咲く可憐な菊を手折り殿上の花瓶に挿された事から始まったとされる、いけばな嵯峨流の総司所もあります。

大覚寺 境内地図

大覚寺の公式Webサイトに、「境内のご案内」として境内の配置がわかる地図がありますので貼っておきます。

それぞれの番号は、1.宸殿(しんでん)、2.心経前殿(しんぎょうぜんでん)、3.正寝殿(しょうしんでん)、4.五大堂(ごだいどう)、5.村雨の廊下(むらさめのろうか)、6.勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)、7.勅使門(ちょくしもん)、8.安井堂天井雲龍図(やすいどうてんじょううんりゅうず)、9.大沢池(おおさわのいけ)、10.心経宝塔(しんぎょうほうとう)、11.名古曽の滝跡(なこそのたきあと)、12.天神島・菊ヶ島・庭湖石、13.望雲亭となっています。

大覚寺 参道

総門から中に入ると参道が続きます。

大覚寺 有栖川(御殿川)

参道を進むと、有栖川(御殿川)が築地塀沿いに流れています。

大覚寺 大門

橋を渡るった先の左手に立派な大門が。

大門から中を覗く

大門から中に入ると、正面に参拝受付があります。

大覚寺 参拝受付

右隣には、式台玄関、左隣に庫裡(明智陣屋)。

大覚寺 大玄関(式台玄関)

式台玄関の前には、低めに刈り揃えられた立派な松。

綺麗に刈り揃えられた松

受付を済ませてから、右に進んで式台玄関の間を通って宸殿に向かいます。

細長い庭

式台玄関と宸殿との間には、細長いこじんまりとした庭がありますが、こういったちょっとした場所にも手が掛けられているのがわかります。

宸殿

宸殿の廊下を伝って南側へ行くと、一面に白砂が敷き詰められた前庭。

宸殿の前庭

大覚寺では毎年11月になると「嵯峨菊展」が開催されているようで、この前庭では嵯峨菊の展示がされていました。

白州を囲むように嵯峨菊が並ぶ
嵯峨菊の花

この嵯峨菊は、約2mの高さになるように仕立て上げられています。

嵯峨菊のつぼみ

花の数は下から七輪、五輪、三輪の「七五三」に咲き並ぶようにされ、葉は下部を黄色、中程は緑、先端を淡緑とし四季を表しているそう。

大覚寺 勅使門

前庭の左手には、勅使門が見えます。

宸殿 広縁

宸殿の広縁から中を覗くと、見事な障壁画が見られますが、これらは狩野山楽や渡辺始興筆によるものです。

五大堂

宸殿を東に回ると、中央に石楽台(能舞台)があり、その向こうに左から御影堂(心経前殿)・御霊殿・五大堂が見え、村雨の廊下でつながっています。

この村雨の廊下の天井は、刀や槍を振り上げられないように低く造られ、床は鴬張りとなっているので歩くと「ケキョケキョ」と音が鳴る。

御影堂正面から石舞台、勅使門

御影堂(心経前殿) 正面から外を見ると、石舞台、さらにその先には勅使門。

勅使門 正面

勅使門は、天皇の使いしか通ることができない門ですが、屋根本体の軒先を丸みを帯びた形に造形した豪華な軒唐破風になっています。

正寝殿

御影堂(心経前殿) の先には、12の部屋をもつ書院造りの正寝殿。

正寝殿 広縁

大沢池

東の端にある五大堂には、池に張り出すように広いぬれ縁(観月台)があり、勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)大沢池が望めます。

観月台から大沢池を望む

勅封心経殿

心経前殿から石舞台の反対側の方角には、大正14年に法隆寺の夢殿を模して再建された勅封心経殿。

勅使心経殿

その左手には、第三十代内閣総理大臣を務めた斎藤実が建立した朱色が鮮やかな霊明殿が見えています。

霊明殿 遠景

斎藤実は、 第一次西園寺・第二次桂・第二次西園寺・第三次桂・第一次山本の5内閣で 海軍大臣を務め、内大臣を務めていた時に二・二六事件で殺害された人物です。

村雨の廊下からの景色

紅葉には少し早い時期でしたが、ほのかに色付き始めた木々が並ぶ庭でした。

渡殿

建物と建物の間にも風情が。

小さな庭

式台玄関の中からは、菊の御門を通して少し外の松が見えます。

菊の御門

どこか見覚えのある景色

大覚寺は、どこを切り取って見ても素晴らしい景色が見られるお寺でしたが、時代劇の撮影に使われる事も多いようで、水戸黄門や必殺仕事人などの有名作品でも頻繁に使われているようです。

お寺好きだけでなく、時代劇ファンも虜にする京都らしい場所でした。