幕末の偉人である西郷隆盛(南洲)と勝海舟の二人。
慶応4年(1868年)3月13日と14日の二日間、江戸城総攻撃を目前にひかえた東征大総督府下参謀・西郷隆盛と、旧幕府徳川家陸軍総裁・勝海舟の会談が行われました。
歴史でそう習ったのは覚えていますが、東京がその地であるということは普段意識することはありません。
そのため、急にそういった事跡を目にすると「150年程前にこの地でそういったことがあったんだ」と改めて認識させられます。
先日、JR田町駅の方に行く用事があって歩いていると、「西郷南洲・勝海舟会見之地」という碑を見つけました。
江戸城無血開城が実現した場所
JR田町駅の構内から地上におりるエスカレータの脇にも巨大な壁画があるのですが、これが「西郷南州・勝海舟会見の図」であることは横に設置してある看板で知ってはいました。
ただ、改めて 「西郷南洲・勝海舟会見之地」という碑を見て「そうなんだ」という驚きが湧きました。
「西郷南洲・勝海舟会見之地」の碑は、田町駅を出て右側に歩いて行ったすぐにあります。
ここに薩摩藩邸の蔵屋敷があって、そこで慶応4年(1868)3月13日、14日と2日にわたって話し合いがもたれたようです。
現在は、三菱自動車工業本社になっています。
都営三田線三田駅のA10番出口を出たにあった薩摩藩邸の上屋敷は、前年の焼き討ちで焼かれてしまっていたようですが、現在はNEC本社ビルが建っています。
東京は歴史と現在が隣り合わせ
普段はなかなかこういった事に思いを馳せることはないのですが、ふとした瞬間にこういった事跡を目にすると歴史が近いものに感じられます。
私自身は鹿児島に縁がありますので、西郷隆盛を親しみを込めて「南州さん」と呼ぶのも知っていますが、その「南州さん」がこの地で勝海舟と会っていた、と知ると何か不思議な気持ちが湧き上がってきます。
改めて歴史小説を読み返したくなったのと同時に、じっくりと東京の名所旧跡を見て回ってみたい、と思わされた一日でした。