[書評]暴走するセキュリティ

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こんなに使える経済学 肥満から出世まで」「[書評]現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護」に引き続き、日経ビジネスの連載「経済学っぽく行こう!経済学っぽく社会を考える、勉強本リストはこれだ!」(閲覧には日経ビジネスオンラインへの会員登録が必要です)のリストから「暴走するセキュリティ 」を紹介。

この本はまえがきによると

2006年4月号から『論座』(朝日新聞出版)で連載されていた「犯罪季評 ホラーハウス社会を読む」に加筆し、哲学者の萱野稔人氏との特別対談を加え、構成(5頁)

したとのことで、世の中で話題となった事件を取り上げながら「セキュリティ社会」「厳罰社会」「モンスター化する少年」「治安悪化」「少年法」「精神鑑定」「刑法三十九条」「痴漢冤罪」「死刑廃止」について論考を行っています。

芹沢氏はまず「宮崎勤事件」が「おたく」という記号化を経て、エンターテイメント、文化現象として消費されたが、その後「酒鬼薔薇事件」「大阪教育大学附属池田小学校事件」が発生すると「子供を狙う凶悪事件」の先駆けとして位置づけられたと述べます。

次に「酒鬼薔薇事件」「バタフライナイフ事件」等の事件が起こった後に「普通の子が突然キレる」という論調が形成され、「豊川市主婦殺害事件」「西鉄バスジャック事件」で「十七歳問題」というキーワードが出現したと示します。

これにより、いままでは犯罪が発生した際に罪を犯したの人物の生育過程なども明らかにされることで、「社会にも問題がある」という論調が形成されていたものが、そういった人物は「理解できない他者」であり、「そういった危険な人物を排除する」という社会になっている、と言います。

この流れを強化するものととして、「少年犯罪の増加」「治安悪化」があります。しかし、実際には少年殺人犯の検挙人数が低下傾向にあることや、殺人、強盗、放火などの重要犯罪の検挙率が悪化しているというのは、桶川ストーカー事件後に行われた被害届を全件受理する方針で認知件数の増加が発生したことと、強制わいせつに分類される「痴漢事件」の認知件数が増加したことで、その「事実」が誤りであることを示します。

子供の安全についても、

家族や近親以外の赤の他人によって、通り魔的に命を奪われる小学生の数は、年間数人にすぎない。メディアで撒き散らされている「殺害されている子どもが急増している」というのは、まったく実体のない捏造されたイメージなのだ。(104頁)

と芹沢氏は言い、現状は

めったに起こらない、レアな犯罪を一般化したうえで、モラルの低下やコミュニティの崩壊などといったことを喚き立て、広く社会的な危機感が煽られるという現象(58頁)

という「モラル・パニック」現象が起こっていると分析します。

これらのことにより社会においては

殆ど効果を見込めないにもかかわらず、セキュリティのために監視カメラが設置され、不審者情報通報システムが構築され、防犯パトロールが強化され(141頁)

る事態が発生しており、

昨今の刑務所の状況が、それをはっきりと示している。数年前から刑務所の過剰収容が問題化している。そしてそれは治安悪化と凶悪犯罪の増加が原因だといわれてきたが、実際はまったくそうではないのだ。

刑務所は凶悪犯どころか、軽微な罪を犯した障害者や病人、高齢者で溢れかえっている。(142頁)

という弱者を刑務所に排除することが起こっていると芹沢氏は述べます。しかしこのことは

問題はテクノロジーが使用される「政治的文脈」なのであって、テクノロジーそれ自体の否定などではありえない。(126頁~127頁)

とし

ここにセキュリティ社会の困難があるわけだが、輻輳する政治的文脈を腑分けしながら、テクノロジーを抑圧的な役割から解放していくような批判は、いまだ十分に可能であるはずだ。

と述べます。

一方で、罪を裁くということについては日本の刑法が「人を見る」ことに主眼を置いた「罪刑法定主義」ではないと述べ、「山口県光市母子殺害事件」を取り上げながら、

死刑がやむ得ない例外であることから、特別な理由がないかぎり適用されるべきものとなるとき、それは権力と死刑との関係が変容するときである。矯正と生の次元にあった近代の権力が、ふたたび暴力のもとに回帰しつつあることを、しかも国民自身の欲望に支えられて回帰していることを、それは物語っているのではないか。(162頁)

と危惧します。

「刑法三十九条」においては、精神病院の刑務所化や精神鑑定が動機解明に用いられる場合の問題点等、医療観察法の改正も含めて、精神科医に「治安管理者」としての役割を負わすと同時に、不相応な権力が制度的に与えられている問題を取り上げ、

精神の障害を「二級市民」化の根拠にするのではなく、情状を考慮するさいに検討される、数多のひとつにしよう

と主張します。

この本は、日本の社会が現実には日々「安全」になって行っている状況において、セキュリティ社会になることで障害者や病人、高齢者等の「他者」に対して厳しくなっていることを危惧し、裁判においても「理性的でない厳罰化」が進み、社会的弱者を排除することに警告を発しています。

「犯罪被害者の権利確立」「刑法三十九条の適用厳格化」「死刑廃止論」に対しても一つの考えを提示しており、同意できるかどうかは別としてこれらの事象に対する思索を深めるのと、昨今、コミュニティの確立が叫ばれる中で、犯罪をどう防止するのかについて冷静な議論を行う上でも非常に興味深く読めました。

目次
第1章 凶悪犯罪者たちへの共感と恐怖
(宮崎勤事件の”前”と”後”アキバ通り魔事件とロスジェネ)
第2章 少年法と刑法三九条をめぐる困難
(「凶悪化する少年たち」というウソ 刑法三九条の罪 ほか)
第3章 セキュリティが長閑な日常を破壊する
(過剰な防犯意識、悪化する体感治安 痴漢冤罪事件と監視カメラ)
第4章 暴力の排除が生み出す厳罰社会
(「善」なる被害者、「悪」なる加害者 暴力に回帰する権力と死刑)
特別対談 暴走する民意と権力(萱野稔人×芹沢一也)